【ラジオ】「GROWING REED」

【ラジオ】「GROWING REED」

先日、V6岡田さんのラジオ番組「GROWING REED」にゲスト出演させていただきました。

岡田さんは気さくな方で、同世代という事もあり、楽しく子供の話などもさせていただきました。岡田さんは髭をのばされておられ、渋みを増した髭イケメン俳優さんでした。

岡田さん並びに番組を裏で支えられておられる皆様、ありがとうございました!

番組はこちら

 

私にお声がけいただいたテーマは、パンデミックを契機に発生した「脱ハンコ」「ニューノーマル」といった話題に対して、現役のハンコ屋さんがどのように受け止め、感じているのか?という趣旨でした。

関東のみの放送という事ですので、概要だけでもこちらに記させていただきます。

 

◆脱ハンコの風潮について

放送でも申し上げましたが、私個人としましては、正直なところ
「一律に使い続けるべきでも、一律に残すべきでもない」と考えています。

今の風潮を見ていると、世情不安もあってか、少し感情的になっている部分もあるように感じており、そろそろ「一旦立ち止まり、俯瞰してハンコ文化について考えてみる」頃と思います。

◆ハンコが使われるようになった歴史

ハンコについて考える上で、まず必要になるのが、「なぜ日本ではハンコが使われるようになったのか?」という事になるかとも思います。

詳しくは私の個人ブログで書いておりますので、詳しい内容はそちらをご覧ください。

 大枠だけ申し上げますと、以下のようになります。

・図形転写の道具・宝物として
縄文時代~奈良時代
キーワード:「土印」「金印」「朝貢貿易」

・行政の実用印として
奈良時代~平安後期
キーワード:「律令制度」「遣隋使・遣唐使」

・民衆の実用印として
戦国時代~現代
キーワード:「花押」「文治政治」「明治新政府」

古くは縄文時代から現代までハンコは日本の歴史の傍らにある道具でした。
ある時は、権威の象徴として、またある時は信頼の証として、その時代を映す鏡として使われてきました。

 

◆日本も昔はサイン文化だった?

前述の流れをよ~くみていただけるとおかしな部分がある事に気付かれるかと思います。
そうです。実は平安後期~戦国まで約550年ほどの間、ハンコが使われなかった時代があったんです。
では何を使っていたか?
そうです。サインなんです。

日本版サインの事を「花押」と呼びます。
見たことがある方もおられるのではないでしょうか。

戦国武将の花押



岡田さんも
「時代劇をやる前は「花押」の練習から入るんです!」
と教えてくださいました。
それくらい、「花押」は武将にとって、無くてはならないものだったという事でしょう。

ご苦労だった

黒田官兵衛



◆ハンコ復活の理由とは・・・?

そんな「花押」全盛の戦国武将達がなぜハンコを復活させたのでしょうか?

答えは、
「花押が面倒」だったんです。 戦国時代を想像してみてください。
各地の武将達は戦のために「遠征」を繰り返していました。
その遠征地では生死を分ける戦いを繰り広げていたのです。

そんな戦地において、「花押」を書くためには、紙以外に「筆、硯、墨、水」が必要となります。
もちろん威厳の為に字も恰好よく書かねばなりません。

単純にそんな余裕がなかったんです。

これに比べ、ハンコですと、「紙と朱肉」があれば戦地でもポンポン押す事ができ、何度でも格好良い印影が転写されます。
「早く」「美しく」「再現性の高い」証を記す事が出来たのです。

また、「代理性」があった点もハンコのメリットの1つですよね。簡単に言うと部下に任せられるんです(笑)

らっきぃ
もちろんその分、ハンコの管理は適切に行われなければなりません。忠義を重んじる日本人の民族性には適していたのかもしれません。

要するに「便利」だから、ハンコが使われるようになっていったんです。


あれあれ?ちょっと待ってください。
この「便利」だから使われるようになったという話、令和の現在、まったく逆の事を言っていませんか?
一体、これはどういう事なんでしょう。

◆サインとハンコ、どっちを使うの!?

 江戸時代に入ると「文治政治」を背景に「商人・町人」の階級が相対的に上がり、ハンコは民衆にまで広がっていきます。

この時に使用されていたハンコは、現代と同じ「実印」と「認印」です。
即ち、我々民衆の慣習としてのハンコのルーツは江戸時代にあった訳です。

ではなぜサインではなく、ハンコが庶民の間でも普及したのでしょうか?

いくつかの理由がありますが、その1つに「識字率」が上げられます。
江戸時代の識字率は諸説ありますが、63%の自署率だった記録が残っています。
(単純比較は難しいですが、この数字は諸外国と比べても高い水準です)
「庶民の地位」が高まった事と「寺子屋」という教育システムが一般に浸透していた事の影響が大きそうです。

ただ、やはり6割ほどでは庶民の認証手段としてサインにするには至りません。

実際に明治初期においては「サインとハンコどちらを主にするか」という、ハンコ界の「戊辰戦争」が勃発します。
 「司法省でサインにしたい派」
 「大蔵省と金融機関がハンコを維持したい派」
結果は・・・

後者が勝ちました。
後者になった理由の1つが「識字率」だったそうです。
サインのみにするのは時期尚早と判断されたのです。

他の理由も気になる方はこちら。

◆脱ハンコは実現できるの?

結論から言うと、社会でIT化によるデメリットを許容するなら実現可能だと思います。特に「意思の確認」についてはどんどんと脱ハンコが進んでいくと思います。

今までも何となく慣習として使用したきたハンコ。誰もが100円ショップで売られているハンコが無い為に、届け出が通らない事の違和感。。


正直、皆がなんとなく感じていた事だと思います。
こうした非合理的なハンコは私も不必要だと思います。

では全てのハンコを撤廃する方が世の中の為になるのか?いうと、
それは一概には言えないと私は考えます。

その理由の1つが「セキュリティ」についてです。
一見すると、ITで管理した方がセキュリティが高いように感じてしまうと思うのですが、実は「便利さ」と「セキュリティ」はトレードオフ(反比例)の関係にあります。この事はIT業界の中でもセキュリティの専門性が高い方であればあるほどに、その脆弱性について深くご理解されている事だと思います。

一方でアナログなハンコは現代において、「不便なもの」なので「セキュリティが高い」んです。皮肉なものです。

しかもハンコ文化とは日本を含めて世界で3か国(他に韓国、台湾)しかありません。
という事はそれだけ、悪意のある側のメリットが低いとも言えます。

また、偽造印鑑を何万本も物理的に彫ったり印影を何個も紙の証明書に差し替える「印鑑・印影偽造」と、一度破ってしまえば、膨大な量の再生産(同じことを繰り返す)が容易な「0」と「1」で出来たデジタルデータ偽造。

貴方が『令和の悪代官』ならどちらを狙いますか?

 悪代官

要するに個人単位ではなく、社会単位で考えた場合のセキュリティは、
「最新の技術」=「高セキュリティ」ではなく、
「狙うための投資 > 得られるリターン」=「高セキュリティ」と捉える事も出来るのです。

セキュリティの発想を転換すると見え方が変わってきます。面白いものです。
さらに詳しく知りたい方は以下をどうぞ。

 

 

◆デジタル社会におけるアナログの価値

テレワークにより気づかされたデジタルの不便さ。
2020年はこれを感じた方も多かったのでは?

例えばWeb会議、どのように感じられましたでしょうか?
「会話がかぶってしまう」と感じられた方が多いのではないでしょうか。

これはおそらく直接の会議と比べて、情報量が圧倒的に乏しいから起こることではないかと思います。

対面の会議、対面の営業、対面の食事、当時は何も感じず行っていましたが、いざなくなってみると、とっても人間的で良かったと思いませんか?

ただ、この変化はもう止まりません。既にデジタル社会に舵が切られています。


平成の30年は大局的には変化の乏しい時代だったと思います。
もっと言えば、本来なら淘汰(変化)されるものが生き残ってしまっているとさえ言えるかもしれません。

現時点での世の中は、アナログ→デジタルへという流れで、今後さらにこの流れが加速するでしょう。

しかしその一方で、アナログの価値は相対的に上がっていくようになると思うのです。アナログに回帰していくと表現した方が適切かもしれません。

それは、本当に人間が美しい、楽しい、嬉しいと「心で感じる」事の本来的な価値に再度、気が付くからではないかと考えています。


適切な言葉かどうか分かりませんが、それは物質的な価値や機能的な価値ではなく、脳を経由せず、人間の「心」に直接響く感覚的な価値だと思います。

この時、アナログ技術を使った芸術分野は再度花を開くのではないでしょうか。

◆最後に

京都という土地で商いをさせていただく中で感じる事は、日本がいかにユニークな文化をもっており、それが海外の方にとても付加価値の高いものであるかという点です。

漢字をはじめとする「日本語」というものもその1つです。
表音文字のアルファベットにはない、表意文字である日本語には日本人が思っているよりも、価値があると私は考えています。

この文字文化を長きにわたってデザイン的に扱ってきた業界の1つが「ハンコ業界」だと思います。ここを磨き、形を変えることで新たな価値を見出せるのではないかと考えています。

<これから自分の仕事がデジタルに飲み込まれていく可能性がある方へ>

私は現在、大きな社会変化の波にのまれる渦中におります。
こうした危機を乗り越えるポイントについて、私は今3つの事が重要だと考えています。

①自分を見つめなおす(考え行動する葦になる)

・自分又は自社の中核技術がもたらす、付加価値とは何か?
・なぜ自分の仕事は存在しているのか?

この先価値を生まないと自分で判断した時は、
潔く「離す」事が重要だと思います。
「離す」の反対には「掴む」があるんです。不思議と「離す」ことで新しいものを「掴む」チャンスがやってきます。
これを信じて行動する葦になるのが大切だと考えます。

 

②集団の力を結束する(三百本の葦を作る)

・日本の強さは「個」よりも「群」
この事はスポーツの世界などを見ても明らかではないでしょうか。

要するにまとまる事で集団の力を最大限に発揮すべきだと思うのです。

知恵を結束して、双方にとって相乗効果を生む、コラボを実施していくのが良いと思われます。特に普段お付き合いのない業界の方などが良いのではないかと私は考えます。 

もちろん私でも結構です(笑)ご興味がある方はお問合せなどから、是非ご連絡ください。

③顧客へのおもてなし(お客様を再定義)

当たり前の事のように聞こえるかと思います。
なぜこれを上げるかと言いますと、人間における「仕事」という価値観が再定義される時代が来るからです。

こうなってくると、今一度、自分にとっての「お客様」や「提供する付加価値」を再定義する事が必要になると思います。

 

最後になりましたが、
子供達のために少しでも良い未来を残していけるよう、日本から世界を元気にしていきましょう!!!!

田丸印房 五代目 田丸琢

五代目